日曜日におじいちゃんの映画祭に行ってきた。
両親も来ており、よっこらせと一緒にあぐらをかいた。30人くらいでいっぱいの会場は、生徒でいっぱいの教室で見ているような臨場感があって逆に心地よかった。そしてひそひそとおしゃべりしながら「先生」の登場を待った。
一日を4回に分け、一回に3本分を上映する。我々が見たのは「真正粘菌の生活史」「きのこの世界」。商業目的じゃない純粋な科学映画だ。それから数年前に長崎で撮られた樋口源一郎トークショーのビデオ。
一本目から度肝を抜かれた。
始めは「真性粘菌の生活史」。樋口源一郎が91歳にして制作し、国内外の科学映画賞を総なめにした作品だ。オープニングは暗いグレイの画面。観客はすぐにそれが顕微鏡の画像であることがわかる。しかし右下から突如として現れるつやつやとしたレモンイエローの半透明のゼリー。まるで心臓が脈動するようにドクドクと波打ちながらうごめいている。一体これはなんだ?ぶよぶよとしたイエローの入道雲。ミクロの世界に似つかわしくない強大な生命力がギャップを生み、驚きに変わる。生きている!それは次第に上方へ樹形を形成しながらドクドクと伸びてゆく。お互い融合し分裂しながら美しい樹形に育っていく。まるで銀河の大星団を見ているようだ!しかもそれは大きさ数十センチに及ぶくせに、たった一つの細胞でできているのだ!
そしてその残像を網膜に存分に焼き付けると、画面は黒々と葉を茂らせたブナの大木を見上げるショットに切り替わっていることに気がつく。すべてはここが舞台なのだ。おお、かっこいいぞ!
僕は科学映画なんてもちろんわからない。でもフィルムから映写された映像は強烈だった。倒木の木の皮のうらにへばりついていたり石の上に固まっていたりして、非常に地味。だれも気にしない。うわっカビだよ!くらいに思われてるけどどっこいカビじゃない生物のような植物のような不思議な存在たち。森では見向きもされない存在なのに、微速度撮影されたとたんに生き生きと動き出す。
「きのこの世界」の一場面に、一夜にして成長し、朝になると枯れてしまう不思議なきのこの映像がある。夜の森、大木の根元のクローズアップ。画面の下部からゆっくり現れる金色のきのこ。それはゆっくりと回転しながら上に伸び上がっていく。高さを増すにつれて傘は開いていき、優美なカーブを花開く。まるで金髪の貴婦人がロンドを踊っているかのようだ。大きく成長した彼女は胸いっぱいに詰め込んだ胞子を風に託す。煙のように旅立つ胞子たち。しかし彼女は朝を迎えることができない。かすかに明るんできた画面の中で、黄金のきのこには悲しい運命が訪れる。絶頂を迎え開ききる傘。しかし老いは無情に彼女を襲う。その勢いは止まらず上方に反り返り、みるみるうちにどす黒く変色し、見る影もなくちりちりと縮んでいく。そして燃え尽きて力を失い、画面の下へぱたりと倒れ去る。
なぜだかとても涙を誘うシーン。しかし、彼女にとってそれは死ではない。菌糸の集合体であるきのこにとって、カタチの終焉は生命の終わりではない。体は枯れ果てて土に還っていっても、風に乗って旅をした菌糸は森に降り立ち、ふたたび何億年も続く生命のサイクルを開始する。
生死という概念を考えるのは人間だけ。そのスピリッツという胞子が飛び立てば、それは個人の死を超越する。色んなものを犠牲にしながら研究に没頭した。99歳まで生きたじいちゃんの肉体は灰になってしまったが、数え切れない人々のこころに科学の心を植え付けた。イタリアやフランスの科学映画の最高賞も受賞したし、教科書の見返し二面にも使われた。映画館でも何度か上映されたし、NHKの教育番組で放映された。坂本龍一が自分のオペラで使用した。そして地味に歴史に名を刻んだおじいちゃんは、人間の知の森に帰って行ったのだ。
ビデオの中ではおじいちゃんのインタビューが始まっている。もう耳が聞こえなくなってマイクを握る手も震えているが、彼は情熱的に語る。写真やイラストでは意味がない。カタチというものは一時的なもの。生物の進化の秘密は動きにこそ答えがあるんだ。だから僕は「動き」をテーマに映画を撮ってきた。うん、これは自分の携わるWEBデザインにとっても重要なテーマだと思う。
家庭を放り出して研究に没頭していた彼を、家族は半ばうんざりした思いで見ていたそうだ。だからか知らないが、親兄弟同士の親戚付き合いもちょっと薄味で、ふがしと結婚するまではそんなもんだと思っていた。しかしそれでもちゃんと子供は育ち、家庭を持った。家庭に悲観的な考えを持つに至らなかったのは、それを上回る何かがあるのだろう。
話し始めると止まらなくなるいつのも癖は健在で、速攻スイッチオンで口角泡を飛ばしながら制御不能な感じのおじいちゃんをみながら、長女である母は苦笑まじりに「おうおう、やっとるわい」とにこにことしていた。

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