長い間山篭もりしていた修行僧が帰ってきた。
彼の相方と自分たち夫婦の四人で「出所祝い」をした。
極度の緊張からやっと解放された安堵と久しぶりのシャバの空気へのとまどい。しかし日々の修練を耐え抜いた者が持つある覚悟。以前より考えて大切に言葉を選ぶ。
内と外のあまりの違いに、自己と世界との距離感が掴めないようだった。約一年の間、一体どんな経験をしてきたのか、我々が修行の苦労を聞きだそうとすると、恐怖にも似た表情を浮かべ、どういえば真実が伝わるのか途方に暮れているようだった。いい経験だったが二度と戻りたくない、と彼はいう。辞めたり脱走する修行僧は数知れず、時には首をくくる者もあるともいう。家の事情で世を捨てるという事もあり、彼もはじめの頃は何度も脱走を考えたそうだ。
特殊な環境に自分を追い込んでその苦境から新しい発見を求める。その道は仏教数百年の昔から磨き抜かれ脈々と受け継がれてきたシステムだ。自分を再構築するプロセスを短期間で実現する高度に洗練された場があるのは恵まれていると思うのだが、本人にしてみればそれどころではないらしい。しかし結果として彼は確実に生まれ変わってそこを出てきた。すべての価値観が一年前とは違っているだろうし、周りの人たちとのギャップもあるだろうけれど、それは時間と愛情が解決してくれる。ともに食うメシはうまかった。
これから仏の道を歩む彼は、人の生死に関わって生きてゆかねばならない。社会には大切な人を失った気持ちを精神的に処理する場が必要だ。悲しみに凍り付いた赤の他人の心を解きほぐし、明日への希望へ昇華させるのは並々ならぬ苦労があるだろう。つらいことだと思うけれど、その気持ちを忘れてお勤めを梯子し、当然な顔をしてお布施をもらう日々を良しとするような生臭坊主になってほしくない。寺の大きさで徳が決まるわけではない。
会がお開きになった。じゃあね、戒名自動作成ソフトなど使うなよ、みんなに愛されるお坊さんになってね、と手を振ると、スウェットにニット帽という格好で恵比寿の雑踏に立つ彼は、自分たちに向かって静かに合掌し、頭を下げた。その姿が、ちょっとありがたいものに見えた。

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